ピアノ

ショパン「別れの曲」難易度の解説等

「別れの曲」とは、ショパンが作曲したピアノ曲の中でも特に有名な曲のひとつであり、切なく哀愁漂う旋律が印象的です。本記事では、この「別れの曲」について、その難易度や演奏方法、そしてショパンの生涯や作曲背景などについて解説していきます。ピアノの練習をしている人はもちろん、音楽ファンやショパンのファンの方々も、ぜひこの記事を読んでみてください。

心に響くショパンの代表作!「別れの曲」の魅力とは?

「別れの曲」は、ショパンが作曲したピアノ曲の中でも代表的なものの1つです。
この曲は、エレガントで繊細な旋律が特徴的で、しばしば愛の歌や哀悼の歌とも形容されます。冒頭のメロディは、幅広い世代に愛される美しい旋律で知られており、多くの映画やドラマでも使用されてきました。

「別れの曲」の魅力の一つは、シンプルな構成にあります。ピアノの左手が繰り返し響く中、右手が美しい旋律を奏でる構成は、聴き手に心地よく、情感を揺さぶる効果があります。また、ショパン独特の技巧を駆使した装飾音符などが巧みに組み合わされており、音楽的な豊かさも感じさせます。

「別れの曲」は、ショパンの練習曲(エチュード)の中では比較的演奏しやすい曲とされており、初心者から上級者まで幅広いレベルの演奏者が取り組める曲でもあります。ただ、演奏するにあたっては、表現力や感情表現が求められるため、音楽的なセンスや表現力が演奏の質に大きく影響する可能性に留意する必要があるでしょう。

「別れの曲」は、ショパンの作品の中でも特に人気が高く、多くの音楽ファンに愛されています。ショパンの作品に触れることで、音楽を通じて感情や想いを表現する喜びや美しさを垣間見ることができるでしょう。

「別れの曲」楽譜の構成

この曲は3部形式となっています。第1部は悲しくも美しい旋律で始まります。第1部だけなら難度は低いので、初心者の方はこの部分だけ練習するのでも良いと思います。私も第1部は比較的簡単にクリアできました。第2部はやや明るい旋律の展開で、技術的には第1部よりかなり難しくなります。私も、第2部の途中から先に進めなくなってしまい、途中で断念せざるを得ませんでした。そして、第3部は再び第1部の旋律が現れ、この曲を締めくくります。

この曲の構成は、一般的なソナタ形式とは異なっています。この曲は主題と展開、再現という形式をとっています。第1部は主題として機能し、第2部が展開となり、第3部が再現となります。

この曲には、小節線やフレーズ線が存在しないため、演奏者によって微妙に異なる解釈が可能です。これによって、演奏者ごとに異なる表現が生まれ、聴衆を魅了するのです。

「別れの曲」の楽譜は意外と簡単?

「別れの曲」の何が凄いかと言えば、やはりその楽譜に込められたメロディの美しさでしょう。作曲したショパン自身が「私の生涯で、二度とこんなに美しい旋律を見つけることはできないだろう」と語ったと伝えられていますが、誰も異論は無いはずです。

にもかかわらず、演奏に求められる技術はそんなに高度ではなく、繰返し練習すれば初心者でも手の届く範囲にありますので、まずは課題曲として第1部で頑張ってみる価値は十分過ぎるほどあると思います。第2部も最初はなんとかなりますので、弾けるところまで頑張ってみれば良いと思います。才能のある方なら、第2部もクリアできるかも知れません。第2部がクリアできれば、全体を通してマスターできるのも確実と言えます。レパートリーにショパンの「別れの曲」が加わる事は、ピアノを練習する人として「勲章」を手に入れたに等しい快挙だと思います。

「別れの曲」のお手本動画:辻井伸之さん

辻井伸行さんの演奏は完璧と言って良いレベルにありますが、無駄なものが何も足されていないので、初心者の為のお手本としても、とても優れた演奏となっています。

辻井伸行 12のエチュード ショパン

別れの曲が挿入されたドラマ

昭和には、こんなドラマもヒットしてました。
流石に、もうちょっと練習してから披露してほしかったですね?

【感動】昭和のドラマ名シーン【101回目のプロポーズ】達郎の別れの曲ピアノ演奏【CHAGE&ASUKA】

「別れの曲」の正式名称は?

ショパンの「別れの曲」の正式名称は練習曲作品10第3番ホ長調です。

「別れの曲」と呼んでいるのは日本だけ

ちょっと意外ですが、ショパンの練習曲作品10第3番を「別れの曲」と呼んでいるのは日本だけです。1934年に公開された「別れの曲」という邦題のドイツ映画(ショパンの伝記映画)でこの曲が使われていたから、この曲も「別れの曲」と呼ばれるようになっただけなのだそうです。
ショパン自身も、練習曲作品10第3番を「別れ」と結びつけて呼んだことはなく、あくまでも後世の人々がそう呼ぶようになっただけの事です。ただ、その美しい旋律と悲しげな雰囲気から、この曲を「別れの曲」としてイメージするのがあまりにもピッタリ過ぎて、今後も日本では確実に続いていきそうです。

ショパンのマーケティング戦略

ショパンは、誰でも軽視しがちな「練習曲」というカテゴリーに、ショパン渾身の名曲ばかりを揃えています。その高い芸術性と音楽性は、誰の耳にも明らかですから、これらを「練習曲」として片付けるのは、普通なら違和感を感じてしまうところです。しかしそれをあえて「練習曲」としてカテゴライズしてしまう事で、「こんなに凄い名曲の数々を練習曲に位置づけるとは、ショパンとはなんと凄い作曲家なんだ!」と思ってしまうとしても不思議はありません。ショパンが人々に「私を凄い作曲家だと思って下さい」と頼み回った訳ではなく、人々が自然とショパンを凄い作曲家だと思ってしまう、一種の作戦として「練習曲」というカテゴリに凄い名曲ばかりを並べて見せた、とは考えられないでしょうか?

これはあまりにうがった見方と言われそうですが、ショパンの前奏曲集も同様の作戦があった事が伺えます。スケルツォもイタリア語では「冗談」という意味だそうですが、ショパンのスケルツォは「冗談」と呼ぶには素晴らし過ぎます。

こんなに名曲なのに、ショパンには「冗談」に過ぎないのか?

という訳です。
作曲家が自身の作曲した曲をどうカテゴライズしようが自由です。でも、そこに逆の謙遜があって、人々がショパンの作戦に無意識のうちに従わされているとしたら?
ショパンを聞きながら、この事について考えて見るのも、面白いと思います。